メタファーは当初『PROJECT Re FANTASY』という形として大々的に発表され、しかしそこから幾星霜。は大げさにしても、初報が2016年末だったことを考えれば、かれこれ7年程度は時間が経っている。
初報にあったキャラデザだったりは立ち消えてしまったので、そのときの企画がそのまま通ったわけではないのはそうだろう。ただ、アトラス肝いりの企画で、新スタジオも作ってのことだったので、やはり期待だけでなくユーザー側も僕に限らず不安はあったのではないか。
当時のコンセプトビデオも残っているので、気になったら確認してみてもらいたい。コンセプトビデオは2つあって、そのうちのコンセプトビデオ2が本作の基礎にはなっているので、下に動画を貼っておく。
今作に登場する種族のいくつかの元ネタも散見される。特にゲームプレイしてから見ると色々おもしろいかなとは思うので、ぜひご確認を。
アーキタイプで自由度の高まった戦闘は◎
ジョブシステムで自由度の高い戦闘に
本作の特徴であるアーキタイプ。いわゆるジョブだが、ペルソナ2のときのように全員が自由に付け替えが可能になっている。
これにより、キャラクターはそれぞれそこまで特筆すべき個性はなくなる一方で、誰を使っても自由度の高い戦闘が楽しめるように。もちろん、実際にはアーキタイプのレベル上げが必要なので、このキャラはこういった育成方針にしようとか、そういうのを考えつつ進めて行く必要があるので、ある程度個性は出る。
ただ、個人的には少しアーキタイプのレベル上げが時間かかるかな、とは感じた。あとMAGが足りなくなってくる。ガンガンレベルが上がるといくらでも好き放題にスキルを組めてしまい、それはそれで低難度化してしまうので仕方がない側面もあるので、あくまで個人的な意見にはなる。
おなじみプレスターンはジンテーゼにより拡張性を増す
さらに本作の特徴となるのは、ジンテーゼと呼ばれるシステム。ミックスレイドに近いものだが、特定のジョブとジョブの組み合わせでのみ発動できる必殺技のようなもので、これが特に強力。
必然的にある程度組み合わせが限られてくるのも確かにあるが、このジョブ同士を組み合わせたいから継承スキルはこういうふうにして・・・という考えもできた。
一方、ジンテーゼは確かに強力である一方で、強力すぎる、という点が上げられる。その強力すぎる、という枷があるので、プレスターンのアイコン消費は参加したメンバーの数によって2、3、4とアイコンを消費するものではあるが、しかし実はゲームを進めるとその制約をある程度払拭してしまうものが入手できてしまう。
これにより、基本的には戦法がジンテーゼ頼みとなってしまう点は、人によっては考えようかもしれない。個人的には割と好きではあったが、ジンテーゼの弱点が実質なくなってしまったら通常スキルってほぼ使うことないよなぁ、とはなってしまった。
ただその辺りも恐らく考えてはいそうで、強力なジンテーゼは下位の方は持っているけど、最上位の特定のものは持っていないよ、という風にはなってはいた。とはいえ、そうなったらそうなったで、せっかく一番強いアーキタイプとして存在しているのに、結局そちらを使わない、なんてことも・・・
難易度はノーマルは標準程度
難易度は意図的に高くしている、というインタビューはあったが、そこまで高いとは感じなかった。ただし、もちろん高いと思う人もいたはいたが、恐らくこの難易度が高いと感じる最大の要因がレベルを上げやすい敵の不在だろう。
ペルソナシリーズで言えば後半になってくるとできる死神狩りで一瞬でレベルを上げられる。それに、死神自体も強いは強いが、裏ボスに挑む前には撃破できるような難易度にもなっているし、ラスボス前でもそれは可能だ。
一方メタファーに関しては、そうした敵がいない。レベル上げがかなり大変で、ラスボス前でも70中盤程度のレベルにしようと思ってもそこそこ周回する必要があって大変だった。ただし、適性水準程度なら特に何もしなくても上がる。それ以上にすると難しくなる、という塩梅だ。
だから、難易度敵としてはノーマルが一番よく、ハードや2周目の最高難度はそこまで意図して作られていないのではないか、とは感じる。与ダメ被ダメの調整でシビアにしているので、遊ぶならノーマルで十分だろうとは思う。
2周目要素は果たして必要だったか
と、ここまで戦闘には悪くない評価をしてきたが、一点、2周目要素については触れておきたい。
本作は2周目でしか戦えないボスが存在する。ただ、一つ問いたいのは、一周50時間以上かかるゲームを周回させるだけのインセンティブが果たしてあるのか?という点だ。
個人的にはペルソナシリーズに関してはそのインセンティブがあるとは感じている。というのも、ミニゲームも多いし、コミュの楽しみだったり恋愛要素と、色々と遊べることがある。もちろん、一周目からのコミュMAXチャートが受容が非常に高いので、僕自身が評価しているのと同じくらい、いやそんなに遊べないよ、と思う人もいるだろうとは思う。が、とりあえず僕自身として、次もう少し速くやれたら違う選択肢取れたし、恋愛で別のキャラと遊びに行こうかな、とか楽しみなプランがあった。
しかし、メタファーに関しては違う。そもそもフォロワーランクをMAXにするのは非常に簡単だし、資質上げもどんどんインフレしていくのであっという間に上がっていく。そうなったとき、2周目を一から始めてまたやり直さなきゃ裏ボスと戦えないんだ・・・という気持ちになってしまうので非常に気が重いし、なにより2周目はサクサク進めるとはいえ、そのサクサク進めるための導線もかなり不親切だ。
一日丸々スキップ機能があればいいが、基本的には昼と夜の行動を毎回させられるし、昼夜いずれにせよスキップしようと思うと移動が挟まる。ただし、これに関してはペルソナシリーズも同様ではある。
仮に周回させる設計にしたいのであれば、周回に足るだけの親切さを組み込むべきだし、ペルソナシリーズでも今までそうだったのだから、というのではなく、快適さを目指すべきではないか。一日を進めるために毎度移動をさせられて、その上できるのが裏ボスの戦いのみで、特に変わった展開もない。
なんとなく周回要素を入れたようにだけ見えてしまい、この点ははっきりとマイナスである。周回時には特別なスキップ機能とか入れてくれるのなら別だが、アプデでもいいので今すぐ改善してほしいと思う。
UI・UX面は少し気になる面あり
ペルソナ系列の作品といえば、スタイリッシュなUIが魅力の一つともなっている。
ただし本作に関しては、スタイリッシュさはともかくとして、少し気になったものがあったので、覚書程度に。
- モアの世界に直接入れず一度話すワンクッションが挟まる
- アーキタイプの種類が増えると探すのが面倒になる
- アーキタイプを変更すると常に装備が最強になってしまいがちなので、特殊な装備をつけ続けられない
- 装備のお気に入り機能くらいはあってもよかった
- 町中の移動速度がそこまで速くない
- 相変わらずスタートボタンでスキップはボタンが硬すぎてしんどい(他ゲームも一緒)
- 鎧戦車での移動が面倒(ワールドマップ開いて直接選択でよかった)
と、ぱっと思いつくところでの羅列とはなってしまったが、以上の点が気になった。ぱっと思いつくところでの羅列とはなってしまったが、以上の点が気になった。あとどこかは忘れたが、選択するボタンが一部ぐちゃぐちゃになっていたところがあって、というのもここではこのボタンだけどこっちの選択は違うボタンだよ、というように、統一されてないものがあったのが気になった。
一方で、戦闘画面では例えば△でスキルを選択したあと、通常なら☓ボタンで決定というようにボタンを入れ替える必要があると思うが、△を連打していても選択できて使えたりは細かいところながらいい点かな、とも思ったし、その他悪くない部分も当然あった。総評したら気になる部分はあったが、メニュー画面も特に重くはなっていなかったし、気になる部分の細かな修正だけしてもらえれば問題はないかな、といったところ。
ストーリーも抑えるべき点は抑えていた
主題は”未来”
本作のストーリーを一言で言うなら”未来”だろう。ただ、公式的にはテーマは不安だ(参考)。もちろん、参考サイトや冊子にもあるように、テーマは自分で判断してほしいということも同じく語っているので、僕自身が未来だと捉えたのもそう悪くはないだろう。それにそもそも、テーマは一つである、ということもない。
この未来という言葉にはもう一つ、”メタファー”が隠されている。未来を語る時、それは常に過去も語っていることになる。例えば主人公はエルダ族という、差別されている少数民族だ。彼の原体験はその少数民族からくる差別であったり、もちろん自分のことだけではなく他種族の差別にも心を痛めてはいるのだが、そうした過去から、彼は未来を語る。
これは決して主人公だけではない。宿敵であるルイであったり、主人公と旅路をともにする仲間たちや、フォロワーたちの存在もそうだ。彼らは一様に、過去の経験から未来を見る。
過去の経験は不安にもつながる。不安も一義的に決められるものではないが、誰もしたことがなかったり、あるいは自分でした経験がなかった未知であること。これらは、幻想とは言わないが、空想するほかない。
メタファーの世界では、これらの不安や未来を”幻想”とする。主人公がその手に持つのは幻想小説で、いわゆるユートピアだ。主人公を導いてくれる存在の一人にモアがでてくることも、ユートピアというキーワードを自覚的にさせる。
主人公たちの旅路は、こうした幻想、ユートピアを未来としてどれだけ引き受けられるのか、という内容となっている。これの成否についてはここでは語らない。ただ、抑えるべき点は抑えていて、王道RPGを目指した、というPRはそこまで的外れではなかっただろう。
ストーリーに関して語るのは難儀してしまうので、評価・レビュー部分としては、ストーリー自体はすんなりと遊べて、もちろんリアルだからこそのツッコミどころはあったものの、別にそうした細かいそうはならんやろ、は突っ込むつもりはない。
抑えるべき点は抑えていた、というのも、盛り上がりであったり、しっかり表現していたと思う。僕自身としては、これがエピソードアイギスと同じ年に発売されたのは示唆的だな、と少し思うが、これに関しては以下、ストーリーの突っ込んだ話で触れていきたい。
ストーリーのネタバレ
以下ネタバレ
ネタバレメインで語ります。上からスクロールしてたまたま目に入ったひとのために、少しだけ、以下で語る部分のトピックというか、ネタバレにならない範囲で数行ほどつらつらと。
以下で語ろうと思うのは、上でも述べたエピソードアイギスとの連関だ。エピソードアイギスの僕の感想で、ニーチェ的な肯定が感じられなかったのが残念だ、という話をした。これは「これが人生だったのか。ならばもう一度」(色々翻訳はあります)という強い肯定、永劫回帰のようなものが、過去を肯定する割には見えなかった、というような内容を話した。まぁ、ニーチェの思想自体に対する賛否はともかくとして、僕個人としては、この肯定する、という要素が弱かったことが気がかりであった。
では本作はどうだろう。恐らく、エピソードアイギスのころから通底している一貫した過去をどう捉えるか、というメッセージが、本作では多分に盛り込まれている。
また、もう一つ気になった点として、橋野氏はカウンターという表現をよく使っていた。このカウンターとは、例えばメガテンやペルソナシリーズにおいては、当時主流だった中世RPGへのカウンター=現代劇という文脈で語られていて、そしてメタファーの”幻想世界”は私達が今生きているこの現代世界へのカウンター(時代へのカウンター)という点においては、果たして踏み込めていたのだろうか、という点を触れて行きたい
偶然と運命
ユーファのフォロワー会話で、「運命とは自分次第だと思い始めました。それは、偶然を、自分のことにするということ。」という言葉を言う。一見すると、運命と偶然とはかけ離れているように思えるのではないだろうか。
僕がこの言葉と見た瞬間、とっさに九鬼周造を思い出した。彼の来歴は気になった人は調べてほしいが、ともあれ日本の哲学者でもある人物で、彼の講演でそのものズバリ「偶然と運命」ということについて語られたものがある。
「偶然な事柄であってそれが人間の生存にとって非常に大きい意味を有っている場合に運命という」
九鬼周造.偶然と驚きの哲学.書肆心水.2011.23p
ともあれ、彼が述べるところによると偶然と運命とはそう遠いものではない。むしろ同じものとしてみている。
また、こうしたことも語っている。
「意志が引返してそれを意志して、自分がそれを自由に選んだのと同じわけ合いにする」
前掲書.26p
ユーファは最初自身が巫女で死ぬさだめ(運命)を宿命として捉えていた。言い換えれば、これは不変である、ということだろう。しかし、今や彼女は、神殿で宿命だと思い込んでいたもの、そして主人公との出会いを通じて、そうした宿命――運命と呼ばれること、偶然を自分事として、自分自身がそれを”選んだのだ”と、運命にする。
本作では、このユーファの発言は最もわかりやすかったが、他にも色々と、過去のこうした経験が未来へと繋がっていく、という発言が数多くある。それこそハイザメであったりもそうだ。
彼らはみな等しく、過去があったからこそ、現在を、そして未来をも切り開こうとする意志を持つ。ストーリーについて、の部分でも軽く触れたことだが、仲間たちはそれぞれ傷を負った過去があり、それゆえに、未来を幻想し、そしてその幻想を幻想のままではなく、いつか未来として位置づけるために邁進する。
僕自身がエピソードアイギスを出した年に出したのが示唆的だな、と感じたのはこのあたりだ。エピソードアイギスでは、過去を現在への肯定と捉え直した立場の急先鋒だったのが真田で、あとは天田もそうだったが、過去があったからこそ今の自分がある、という立場を持つ。
エピソードアイギスの部分では痛烈な批判をしたが、実際、メタファーに関してはそこまで嫌味には感じなかった。ただ、それは状況が大きく異なっている点もあげられる。
それは、エピソードアイギスでは実際に取り返しのつくことになったのかもしれない、P3のメンバーはそれぞれが未来を定義し直せるチャンスを得た。にも関わらず、現在を肯定するしかないという思想に囚われて、挙げ句の果てにはプレイヤー側もよくわからない元凶?と言われるなにかとも戦わされて、なにが解決したかもわからないままであった。
これに関しては実はペルソナ5Rも近しい構造をしている。というのも、丸喜が作り出したパレスを否定するという流れだ。まぁ、あれに関しては否定してもいいとは思う。否定までの道程に関しては色々と思うことがあるが、ともあれあれは皆の欲望だといっても丸喜が捉え直したもので、そもそも全員にとっての理想の世界とは一体どういう意味なのか、誰もが等しく理想を叶えられる世界など残念ながらありえない。あの世界では死者が復活していたが、ではむしろ誰からも死を望まれているような人物がいて、その場合はどうなるのだろうか。あるいは、同じ対象に恋慕しているものが複数いるとき、誰かは選ばれて誰かは選ばれなかった未来になりえるだろうし、とにかくそうした欲望を一体誰がどういう了見で、という明らかな欠陥が残っているので(そこまで突っ込んではなかったが)あれは設定的には問題ない。あくまで設定的には、だが。そもそも改心自体の設定に触れて批判したくなってしまうので、この話は終わり。
そして満を持してのメタファーだが、メタファーに関しては、こうしたやり直せるかも・・・という状況が一切ない。彼らの胸にあるのはただ一つ、”幻想”だけだ。そういった意味で、過去への肯定というのが一番すんなりきたし、こうした過去を幻想という未来へ進むための源動力にして、というシナリオ作り自体はまさに王道RPGという名には恥じなかっただろう。
この偶然・運命・そして未来へ、というのはメタファーが今までの総決算的な内容にはなっていたと思う。エピソードアイギスやペルソナ5ロイヤルでは、僕自身としては描ききれなかったというか、失敗してしまった部分は修正できたいたと思う。
が、ここで少し疑問に残るのがルイ・グイアベルンの存在だ。ルイの不安の源泉はこの世の理不尽に対してであり、そして対象が理不尽である以上、ルイにとってはどうしようもなかったのだ。
理不尽に対するにはどうすればいいのか。ユーファのように、偶然を自分のこととし、運命として捉えるべきなのだろうか。そして幻想を夢見て手を取り合うことこそ、ルイがすべきことだったのだろうか。
いや、そもそもルイの理想は本当に過去を肯定しきれなかったことに由来するのであるのだろうか。ルイは、かつて古仙境を訪れた王に夢を見て、その世界を夢想し、しかし理不尽の前に沈んでしまった。ルイの理想は、そうした彼の経験そのものから成り立っているものであり、主人公一行とは一体どの程度質の差があったというのだろうか?
ストロールはルイのそうした思いを”不安”として一蹴する。そして実際、最後に立ちはだかるのはルイがニンゲン化してしまった姿だ。
だが、ここに関してはどうにもすんなりと受け入れるのは難しい。というわけで、ここからは以下、「現代世界へのカウンター」という点に踏み込めたのか?という点について第二部。
力の論理はルイだけに働いていたのか
主人公一行は、幻想、つまり未来を夢見ていられる世界というのを掲げている。その中には種族同士の差別であったりの解消、ユートピア世界になるためへの努力というのも含まれている。
一方、ルイの秩序は力の秩序であって、生き残れたものたちだけが新たに生存できるという社会になる。まぁ、確かにこれはこれで問題がある(と感じられる)。無知のヴェールを引用するまでもなく、ルイの思想は必然的に自身が強者であったことにも由来すると考えて問題ないだろう。
とはいえ、ルイが強者であったのは事実ではあるものの、かつては彼も弱者側の人間、つまり理不尽に脅かされる一個人でしかなかった。彼は、彼自身の素養ももちろんあるが、理不尽に対抗する力を持っていなかったはずが、いつしか理不尽に対抗する力を持つにまで至った。そうした存在でもある。だからこそ、彼にとっての秩序は力による公平さだ。まぁこれも理不尽ではあるのだが。自分ができることを純粋に他人に押し付けようというのは身勝手がすぎるのはそれはそうだ。
一方で、では主人公たち側には力の論理がなかったのだろうか、という点があげられる。彼らは結局のところ、力でルイを制するしかなかった。そもそも、王子を救うためとはいっても、ルイを対話不可能な人物と位置づけ、暗殺することに終始してしまう。言い換えれば、彼らにとっての幻想は、ルイが言うように力によるまやかしの公平さでしかない。
主人公たちがいくら善王だとしても、それは彼らに力があったからにすぎない。事実、ユトロダイウス5世はその力がなく、理想の前に沈んでしまった。
僕が主張したいのは、ルイの理想もそうだが、結局主人公一行も力の論理を免れていない、という点だ。とはいえ、これは決して『メタファーリファンタジオ』という作品固有の問題ではない。最近のJRPG、そして他の創作に関しても、全てがお行儀よく、お上品に、対話や正義の反対は正義という空虚な言葉を物語に反映させようとするとき、これらの問題はより一層表出してしまう。
と、ここまで書いたが、今作は一方でその批判をされるのが分かっていたのかもしれない。ラスボスは最後までルイであったことは、こうした矛盾から目を逸らしていないようにも感じて、悪くはないと思う。
ペルソナ3にしろ4にしろ5にしろ、まぁ3に関しては最初から超常現象という感じだったが、特に5はぽっと出ボスにルイの役割を演じてもらうしかなかった。しかも、ご丁寧に超常の存在であるから、どこか力による征服という理屈から逃げているような感じがする。
ルイに関しては真っ向から話し、ルイはルイの理想に、そして主人公たちは主人公の理想をぶつけ合い、そして最後までしっかりとルイという存在と戦う。ペルソナシリーズのようにここで王錫のマグラに操られていて、ルイ自身は~という展開にせずに、きちんと戦闘したのは評価したい。
ただそうなってくると、最初から打倒ルイだし、呪いを解くためとはいえ力での排除を目論んでいたこともそうだが、やはり主人公一行が理想を語れば語るほど、その幻想はルイが語った力での公平さ=主人公たちが望む公平さでしかないのでは、と感じさせてしまう。
結局、力あるものが秩序を作り、平民はその力あるものが善政を敷いてくれるのを”支持”するしかない、ということになりかねない。メタファーの主張したかった、一人ひとりが、個人個人がしっかりと頭を使って考えて、その先に未来を信じられるように、”幻想”の世界をいつか未来にするのだ、というメッセージは、ルイのような存在で容易に転覆することすら示唆されてしまうように思えてならない。
メタファーという世界を通してこの現実世界(ここでいう現実世界は私達が生きている本当の現実で、ゲーム内ではない)を諦めず、より良い未来を夢見てほしい、というメッセージにもなっているとは思うが、いずれにせよ力なきものは力を得るか、もしくは力を得たものが善政を敷いてくれるのを待つしかない。こうした諦観が、どうしても漂ってしまうように思えてならない。
さらに悪いことに、ルイへの支持はまやかしではなかったという点もある。民衆の不安や不満を確かにルイは利用はしたものの、そうしたプロパガンダもルイの人望あってこそだっただろうし、どうしてもルイが支持されてしまっていた、という事実は揺るがない。
で、あれば、ルイの力による公平さは、違った形で成し遂げられたにすぎないのではないか。結局メタファーにおいては、主人公たちの力はルイに理想を変えさせるだけの力を持てなかった。言い換えれば、幻想を見せることができず、確かに戦闘では勝ちはしたものの、主人公たちとは違う幻想を強固に抱いている個人にとっては、主人公たちの存在は全く意味がないのだ、とも言えてしまう。ルイを打倒することにより、主人公たちが敗北してしまったといっても言い過ぎではないだろう。
繰り返すが、これは本作特有の問題ではない。本作のようなRPGという作品が勝ち負けの論理で動いている以上、これは仕方がないことである。『デスストランディング』は自覚的にこの問題を取り扱おうとしたが、個人的にはそれでも未完の試みではあったと思う。
……と、ここまで指摘はしてきたが、じゃあそれして面白い作品になるの?と問われるのうーんと悩んでしまう。わかりやすく力の論理が働いて、主人公一行が気持ちよくなってくれてかつ主人公側に肩入れできるような作品であれば、ユーザーとしては満足してしまうというのも実情だ。だからもし今後出すとしたら、そうしたユーザーの認識を指摘するような作品で、と言いたいところだが、そんな説教くさい作品が面白いかと言われるとやっぱり悩ましい。
ただ、僕個人としてはこれをいつかいい感じに消化してくれるような作品は見てみたいなとは思う。そしてそれを見た時、果たして僕がどのような態度で受容するのか。また今回のように指摘するだけにとどまるのか、それともつまらなかったなとなってしまうのか。今後も現代世界へのカウンターとしてRPGを作り続けてもらえるのなら、その作品がアトラス作品からでてくれるのかもしれないと淡い期待を抱きつつ、本感想は了としたい。
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